“心にあかりが灯るとき”ってどんなとき?
『あぁ、私って今こんな氣持ちだ…』
自分の本当の氣持ちに氣づくと、
なんとなく“ポッ”と心があったかくなる。
“心にあかりが灯るとき” それは“心の声に氣づくとき”
padopado candleはそんな瞬間に
そっと寄り添うキャンドルやさん。
炎の揺らぎに心を映して、
ここに在る、世界でたった一人の“私”の
美しいエネルギーにどうか気づいて。
※“私”=あなた
いつも大切な誰かへ贈っている愛を
自分にも向けてあげてほしい。
自分で自分を大切にしてあげると、
誰かへ贈る愛情も、より増していく。
幸せや悦びは自分の心から生まれるもの。
まずは今ここにいる私へ、
たっぷりの愛を注いであげよう。
命に限りがあるとしたら、
この何気なく過ごしている今この瞬間も大切な時間。
命は、時間によってそれを体感し、
その人が使える時間を持ってして
確かに命がここに在ることが証明がされる。
どうやら、
大切なもののために“どれだけ時間を使えたか?”が
“今”をよりよく生きる鍵となっているようなのです。
この世に生まれてから今この時まで、
ずっとこの身体を守っているのは紛れもなく私自身。
まず自分。
自分の“心”が守ってくれています。
でも、その心も“身体”という器がなければ
ここに存在することができません。
心と身体の関係は持ちつ持たれつ。
体があればこそ、今の私がある。
体が無かったら何もできない。
誰かに感謝することも、喧嘩して許すことも、
行きたい場所に行くこともできない。
自分の意思を伝えられない。
誰かに嬉しいことをしてもらったら、
“誰か”には感謝の言葉を伝えられる。
なぜ自分には言えないのでしょう?
きっと、日常の中で意識してないから。
自分の身体に目を向けていないから。
心臓が動いてること。
呼吸してること。
目が見えること。
耳が聞こえること。
話せること。
それがどれだけありがたいことか。
繰り返しになりますが、
そんな素晴らしい身体という器を守ってくれているのは
自分自身の心なのです。
普段意識しないけれど、
今の私が私として今この瞬間生きていられることは、
心も身体も含めた私自身のおかげなのです。
“もっと自分との時間を大切にしてみよう”
“もっと自分の願いを聞いてみよう”
“いつも自分を守ってくれている自分自身へ、
ありがとうの時間を作ってみよう”
そんな感覚に気づいたひとへ、
これから気づいていこうとする人へ、
padopado candleの灯りが温かく、
そっと寄り添えますように。
そんな願いを込めています。