あなたの心にも “ 余白 ” ありますか?
“ 余白 ”
私はこの“余白”をとても大切にしています。
そもそも余白って何でしょうか?
辞書で引いてみるとこんな風に説明されています。
「文字が記してなく白く残っている部分」
私がお届けしたい“余白”は、
「自分が自分を意識、認識する時間や空間」のこと。
この余白があると、
こんなイイコトがあると思っています。
・追われる感覚からの脱却
・自分自身への労り、労い、癒し
・他者への理解
もちろん個人差や、限度はありますし、
“必ず”ということではありませんが、、、。
人は、これまでの経験の中から反射的に物事を判断したり、言葉を発したり行動を起こしたりします。
その経験のおかげで、
日常をより効率的に過ごすことができています。
例えばハイキングに出かけた時、
山道は肌を傷つけるかもしれない虫や植物がたくさん生えています。
過去に虫刺されにあった経験や先人の教えから長袖長ズボンを着たり、虫除けスプレーを噴霧したりします。
そしていかにも攻撃してきそうな虫を見つけたら、反射的に避けます。慌てて走り去るかもしれません。
このような場合、経験や知識が大いに生かされていますよね。
ただ、
人間同士のコミュニケーションの場においては、
経験や知識からの“反射”だけでは立ちゆかない場面が往々にしてあると思います。
ちょっと極端な例を挙げてみますね。
例えば理不尽なことで上司から怒鳴られた時。
事実とは違う内容で罪を着せられ、やるせない気持ちになったとします。
そこでその場の感情に任せて「ふざけるな!僕(私)のせいじゃない!」と怒鳴り返します。
するとどうでしょう?
この後の二人の関係は良好なものになりそうでしょうか?
(実際にこんな場面があったらと想像すると血の気が引きますね、、、)
怒鳴る上司の状況は差し置いたとして、
反射で怒鳴り返してしまった自分の心はどうでしょうか?
数秒後の後悔が目に見えるような、、、
果たして本当に私は“怒鳴りたかった”のだろうか?
反射で怒鳴ってしまっただけなのでは?
本当は、
自分が犯したミスではないのに、意見も聞いてもらえず頭ごなしに怒鳴られたことがすごく悔しかったし、
怖かったし、悲しかった。
シンプルに誤解があることを伝えたかったし、
関係値を悪くしたかったわけではないのに、、、。
ここでひと呼吸置いて自分の声を聞いてあげる余白があったら、
自分と相手の間に立って、
冷静にどうするべきか、どうすることができるか、
その場の自分にできる最善を選ぶことができますよね。
そもそも、
突発的な生命の危機から命を守るために備わっている機能が“反射”というもの。
2つ目の事例の場合、
突発的な生命の危機が生じている程の状況でしょうか?
実際に怒り心頭で叫びたい気持ちになっても、
直接的にこの瞬間に命が脅かされることはありません。
つまりこの場面では、
“反射”で行動を起こしてしまう必要がないとも言えるのです。
それならば、なぜ“反射”が起こってしまうのでしょうか?
それは、
“効率化”
“他の誰よりも優れること”
“スピーディーに”
という現代社会の背景による思い込みも大きく関係しているのではないか?と思っています。
せわしない日々の中で、反射的に物事にあたってしまうのは目の前にある状況をゆったりと考える時間がなかったり、その手段を知る機会がなかったりすることが理由の一つになっているのではないでしょうか。
“ 余白 ”
それは、
自分自身が心地よく毎日を暮らすためのアイテムの様なもの。
自分自身が自分の本当の感情や感覚に気づくと、
自分の人生を生きる上で、本当の意味での効率化が望めると思っています。
野球選手になるために、サッカークラブへ入る人がいないように、自分の本当の想いがわかっていたら圧倒的にズレた環境は選ばないと思います。
そんなこと言っても無理。
綺麗事ばかりで何の役にもたたない。
そう思っていても大丈夫。
あなたはちゃんと、
確かなあなた自身の“心”を持って生まれてきています。
今は向き合えなくてもそれでいい。
どんな自分でさえも、
あなたの身体がそれを大切に守っていて、
人生の最後の瞬間までを共にするのは
あなた自身の“心”だから。
いつからでも遅くない。
気づいたその瞬間から自分自身の心と共に在ることを
意識しながら毎日の暮らしを丁寧に過ごせますように。
少しでも、
自分自身へ生活に“余白”を取り入れる人が増えた未来って
どんな世界だろう?
そんな世界に想いを馳せながら、
私自身も日々自分自身と深く繋がれるよう余白を意識して過ごしています。
それでも、キィーっとなったりすることはあります(笑)
そんな時は、ただただ“あぁ、私今こんなふうに感じているんだ”と味わい尽くします。
そうすると不思議と、スゥーっと浄化されていくことが多いような気がします。
あくまでも私の例ですので、ご参考までに、、、。
ここまで無事に読んでくださりありがとうございました。
目が疲れたと思います。
すこーしだけ目を瞑り、深く深呼吸してみてください。
両手のひらを上向きに(まるで物乞いをするかのように)
そっと包み込むようにして顔面を覆います。
目頭のあたりや、頬、こめかみ、おでこに触れ、強張りや緊張をほぐしてあげてください。
たったこれだけの事でも、
自分の身体が喜んでくれているのを感じることができます。
“疲れたな〜”と感じたら、
ちょこっとでも自分との余白な時間を過ごしてあげてみてくださいね。